おれこの地球に生きてるぜ

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昨日は都内で今開催中の
『シークレットパワー』
のセミナー説明会をしていました。

昨日の参加者は

山形
大阪
名古屋
北海道
そして宮古島から

と本当に皆さん遠いところから
時間とお金をかけて来てくださった。

そして今回はセミナー終了後に
5分程度だけれども

それぞれの参加者の悩みを解決し
強みを見つけるコンサルテーションを
取り入れているのですが

『参加して本当によかった』

とおっしゃっていただいて
本当に嬉しいです。

自分の言葉や経験やボディランゲージで
目の前にいる人々の表情が変わる瞬間を見るのが
私にとっては快感で本当に好きな
ことなんだ。

お金をもらわなくても
やりたいと思えることなんです。

大げさかもしれないけど

『おれこの地球に生きてるぜ』

そう感じることが
できるから。

実は今回の参加者の中には、
「数十年以上悩みを持って来て
それを解決できずにこの歳まで
来てしまいました」

そんな風にコンプレックスを
持っている方がたくさんいる。

そしてそんな悩みの中でも
非常に多いのが

『小さい頃から全てのことにおいて
人よりうまくできなかった。
そして家族や先生や友人から
バカにされて来た。
だから怖くて。何も挑戦
できないんです』

という悩みを持つ人たち。

中でも昨日のセミナーでは
宮古島からお越しいただいた
女性の方は涙を流しながら
このように話してくれた。。

『宮古島ではみんな安月給で
働いていて、だから子供にも
夢なんか持たないで地道に
やっていくのよ。そんな風に
子供達を育てているんです

私もそのように育ちましたし
私も子供をそのように
育ててしまいました。

だけどね
それが本当に悔しくて・・・

自分の孫は絶対そんな風に
育てたくなくて。

もっと私たちには
可能性があるんじゃないか。

そしてこれ以上宮古島の子供達に
夢を持てなくなるような育て方を
したくないんです」

涙ながらにそう話してくれました。

私も自分の過去を思い出して
涙が出るのを堪えていました。

中学3年生の頃、
ブラジルでプロサッカー選手になると
公言してハブられ、先生からも笑われて。

高校生の時は、
どうせ笑われるんだから
言わないほうが楽だと思って
言わないようになって。

進路相談の時は
親からも先生からも
キチガイみたいな扱いをされて。

自分で100万くらい貯めてやる
と決めて始めた読売新聞セールスマン
の職場でも先輩たちにバカにされて
笑われて、認めてもらえなくて
本当に本当に悔しかった。

その日は夜中の2時に泣きながら
1時間半かけて歩いて家まで
帰っていた。

当時付き合っていた彼女と
先輩のかっさんがなんどもなんども
励ましてくれて、なんとか夢を
叶えることができたけど。

2人がいなかったら
今の私はないと言い切れる。

ステージの上に立って
他人を勇気付けることなんて
到底できていなかったと思う。

それくらい
「他の人が信じてくれない」
って辛いことだ。

ましてやそれが家族だったら
辛すぎる。

邪魔する人がいるなら
それはもっと辛いことで。

だけど、
僕がブラジルでの夢の時間を生きて
わかったことは

『変りたい』

そう望んでいる人の人生は
確実に変わるということ。

能力や学歴やバックグラウンドなんて
一切関係なくて。

才能なんて関係なくて。

必要なのは

『変りたい』

というからし種ほどの
望みだけ。

それだけで現実は変わるんだ
未来は変わるんだ。

あなたは一人じゃない。

19歳の時に
彼女やかっさんが
現れてくれたように

あなたにもきっと現れるから。

信じて諦めないでほしい。

諦める日もあるかもしれない。

でもやめないで欲しい。

いつの日か、
絶対宮古島に行ってやる。

夢は叶うから!!!!!!
って校庭で叫んでやる。

『変りたい』

思うのは
無料でしょ。

まずは望むだけでいい。

方法はその後だ。

もし、

『今の現実に納得がいっていない』
『変りたい』

そのように思われている方は
ぜひ私に会いに来てください。

一緒に変わりましょう。
http://lifechangers.jp/secretpower/thanks/

石川勇太
 
 
 
 
 
 
 
 
 

 

  1. 齋藤 均 とおきん

    石川さん、こんにちは。とおきんです。
    俺も今「変わりたい」と思っています。 宮古島の女性の様に、「慎ましく生きろ」とは教えられず、かなり自分勝手に生きて来たけれど。 たくさんの人に迷惑をかけて来た。補導されたり、停学を食らったりした。
    その結果、阪神・淡路、中越、東日本大震災を経験した。 東日本大震災直後、両親・親族を失った。EVAに入らなきゃ、誰も応援してくれる人は出来なかったろう。
    今、本気で応援してくれる親友が一人います。

    後は、自分の潜在意識を書き換えて、プロサムライとしてゆめを叶えたい。 そう思っています。

    プロサムライの資格試験が、高く厳しいものだから。

    でも、今は本気で応援してくれる親友が居るので、諦めずに、最後まで頑張ろうと思います。

  2. 島袋隆

    65歳の薄給医師です。クソが付くほどの真面目人間…最近自分の夢に揺らぎを感じています。高齢の私がやらなくてもやる人が出てくる。私はのんびり余生を楽しむべきかなと…今まで産婦人科医として昼も夜も働いてきましたから。世の恵まれない方々を石川さんや資産家の方々やファミリーの力で救いたいという気持ちはあります。

    • 齋藤 均 とおきん

      島袋さんこんにちは。とおきんです。お返事が、石川さんじゃなくてすみません。
      65歳までも、現役のお医者さんとして、「命が生まれる現場」に立ち続けられた事に敬意を表します。 とおきんは51歳だけど、東日本大震災で全てを失い、ウツ状態になり、7年間もいたずらに、年月を重ねているだけです。
      ようやく、立ち直りつつあるところです。

      人生経験を積めば、夢は変わって行くものだと思います。 ただ、変える方向を、膨らませる方か、しぼませる方かの、どちらにするかだと思います。

      それとは別に、「吾唯足知」と言う言葉があります。

      とおきんも、これまでの人生で、経験的に、「自分自身の限界」を、自ら作ってしまっています。 人生経験→潜在意識の固定化、となり、「現状維持あるいは、夢がしぼむ」方向に、ともすると考え方が、進んで行ってしまっています。 自分自身の全体を「現状維持」するにしても、体力などが、急激に衰えている事を実感して居るので、自分の中の可能な分野を尖らせて行かないと、トータルとしての自分自身は、「現状維持」にならないと、痛感しています。 大きな事、勢いが必要な事などは、若い人がドンドンやってくれて良いと思います。
      ただ、自分にも出来る、自分の経験を活かせる事に、夢のベクトルを変化させて、進む速度は遅くても、前に向かって生きて行きたいと思っています。

      東日本大震災で、未だに仮設住宅居住者は、3万人以上。とおきん一人の力は微々たるものですが、彼らの為に出来る事は、自分にもまだ何かあると思うから。

      島袋さんも、ご自身にしか出来ない事を、誠心誠意行われたら、夢も広がって行くと思います。

      石川さんのセミナーとかに行くと、石川さんのパワーに圧倒されてしまい、自分は時には自己嫌悪になります。
      「石川さんの様には、出来ないよ!」って。

      でも石川さんは石川さん、とおきんはとおきんで、自分自身は、「吾唯足知」と言う感じで、自分が出来る事を、自分のペースでやろうと思っています。

      へんなお返事になってしまい、申し訳無いです。
      乱文失礼します。 とおきん 拝。

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